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8/16/2014

長岡大花火。

我が故郷の、長岡大花火。
今年は土日開催だったため、久しぶりに見ることができた。

長岡空襲から69年。
1945年の8月1日に、長岡の空にB29が来襲し、
午後10時30分から1時間半にわたって爆撃を行った。
中心市街地の8割が消失・・・
見渡すかぎりの焼け野原と化し、1485名の尊い命が失われた。
現実に起きたことなのか、
今の街からは、想像もつかない。
先人たちが、故郷の言葉にならない惨状に心痛めながら、
どれだけ心血注いで復興に尽力したことか。

長岡花火の始まりは、
慰霊と鎮魂の念、復興への願いからであることを、忘れてはならない。
正三尺玉が上がる前には、街中にサイレンが響き渡る。
そのきっかけは諸説あるけれど。
私の祖母は、このサイレンの音を聴くといつも、
「空襲を思い出す・・・」とつぶやいていた。
当時、赤く燃え盛る長岡の街を、
祖母は赤ちゃんを抱えて逃げ惑った経験があるのだ。
打ち上がる花火で明るく照らされるその横顔は、
子どもながらに、どこか切なく哀しそうに見えた。

今年は、実家の屋上で家族みんなで花火鑑賞することができた。
甥っ子たちも含めて、わいわいと笑顔あふれる時間。
大切な人と夜空を見上げる、かけがえのない幸せなときを、
ずっと大切に、次世代へ、未来へ、受け継いでいきたい。



特に今年は、中越地震から10年の節目ということもあり、
復興祈願花火「フェニックス」は、5分のロングバージョン!
河川敷では、平原綾香さんが生歌を聴かせてくれた。
フェニックスは、この曲と共にある。
みて、きいて、思いを巡らせ、涙がこみ上げる。


これからも、胸震わす故郷の夜空の花が、
どうか平和のうえに咲きますように。
先に逝った多くの人々の無念を無駄にしてはならないと、
改めて強く思う、2014年の夏である。