我が故郷の、長岡大花火。
今年は土日開催だったため、久しぶりに見ることができた。
長岡空襲から69年。
1945年の8月1日に、長岡の空にB29が来襲し、
午後10時30分から1時間半にわたって爆撃を行った。
中心市街地の8割が消失・・・
見渡すかぎりの焼け野原と化し、1485名の尊い命が失われた。
現実に起きたことなのか、
今の街からは、想像もつかない。
先人たちが、故郷の言葉にならない惨状に心痛めながら、
どれだけ心血注いで復興に尽力したことか。
午後10時30分から1時間半にわたって爆撃を行った。
中心市街地の8割が消失・・・
見渡すかぎりの焼け野原と化し、1485名の尊い命が失われた。
現実に起きたことなのか、
今の街からは、想像もつかない。
先人たちが、故郷の言葉にならない惨状に心痛めながら、
どれだけ心血注いで復興に尽力したことか。
長岡花火の始まりは、
慰霊と鎮魂の念、復興への願いからであることを、忘れてはならない。
慰霊と鎮魂の念、復興への願いからであることを、忘れてはならない。
正三尺玉が上がる前には、街中にサイレンが響き渡る。
そのきっかけは諸説あるけれど。
私の祖母は、このサイレンの音を聴くといつも、
「空襲を思い出す・・・」とつぶやいていた。
当時、赤く燃え盛る長岡の街を、
祖母は赤ちゃんを抱えて逃げ惑った経験があるのだ。
打ち上がる花火で明るく照らされるその横顔は、
子どもながらに、どこか切なく哀しそうに見えた。
子どもながらに、どこか切なく哀しそうに見えた。
今年は、実家の屋上で家族みんなで花火鑑賞することができた。
甥っ子たちも含めて、わいわいと笑顔あふれる時間。
甥っ子たちも含めて、わいわいと笑顔あふれる時間。
大切な人と夜空を見上げる、かけがえのない幸せなときを、
ずっと大切に、次世代へ、未来へ、受け継いでいきたい。
特に今年は、中越地震から10年の節目ということもあり、
復興祈願花火「フェニックス」は、5分のロングバージョン!
河川敷では、平原綾香さんが生歌を聴かせてくれた。
フェニックスは、この曲と共にある。
みて、きいて、思いを巡らせ、涙がこみ上げる。
これからも、胸震わす故郷の夜空の花が、
どうか平和のうえに咲きますように。
フェニックスは、この曲と共にある。
みて、きいて、思いを巡らせ、涙がこみ上げる。
これからも、胸震わす故郷の夜空の花が、
どうか平和のうえに咲きますように。
先に逝った多くの人々の無念を無駄にしてはならないと、
改めて強く思う、2014年の夏である。